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広島◆広島市/80年後のミライ【本部スタッフ・全国乗り鉄漫遊記】

この記事の投稿者: ふるさと情報館・本部スタッフ

2025年8月23日

▲路面電車がエキナカに乗り入れる配線は、富山地鉄の富山駅等で実用化されていますが、2階に高架で乗り入れるのは今回は日本初。

今年8月は日本の終戦からちょうど80年の節目ということもあり、例年以上に戦争を風化させないような取り組みが全国各地で行われています。

毎年8月6日は国内外から多くの来賓が訪れる広島市ですが、今年は平和記念公園から離れた広島駅にも別の視点から注目が集まっています。

広島駅は今から約130年前の1894年(明治27年)に開業したものの、当時は鉄道忌避伝説の影響からか市内中心部を避けるようなルートが選定され今日に至っています。

そのため駅周辺は中心部ほどの発展はありませんでしたが、平成から始まった駅前再開発によりタワマンや商業施設が増えるようになり、広島駅も構内外において大規模な模様替えが実施されることになりました。

その一環で同居していた駅ビルもリニューアルすることになり、今年3月24日にエキナカ商業施設「minamoa(ミナモア)」がオープン。

そして広島市内に路面電車を有する広島電鉄(通称:広電)も再開発に伴い、運行ルートが大幅に見直された結果、広島駅の中に直接乗り入れるという大胆な乗り場に変わり、8月3日に広電駅前大橋ルートが開通を迎えることとなりました。

▲広島駅と目と鼻の先にある猿猴橋町電停。電車を待つより歩いた方が早いことでも有名でした。

ルート変更にあたり運行形態も変更されるため、新たに環状線も来年春から走ることが予定されていますが、一方で広島駅を出てすぐ、路面電車のホームとしてはかなり狭いホームで有名だった「猿猴橋町えんこうばしちょう」電停は8月2日の終電を最後に廃止されることに。

当電停周辺は道路拡大も難しく、元々渋滞が頻発する区間だったこともあり、廃止後は道路状況も幾分か改善されることが見込まれます。

▲今回のルート変更に伴う短縮効果は約4分程度。的場町・段原一丁目電停をは、来年春までしばらく冬眠です。

広島市はかつて1960年代に、他の地方都市同様に地下鉄建設計画が持ち上がっていましたが、諸事情で実現しなかったことから路面電車と共に歩む道を選んだ比較的珍しい都市です。

戦災復興でかなり道幅に余裕をもったのが、今でも路面電車が都市部で生き残っている大きな要因だと思いますが、やはり原爆投下から3日後には電車が走り始め、当時の広島市民を勇気づけたという偉大さが支えられている理由の一つとも言えるでしょう。(本部 髙橋瑞希)

東京◆本部/フェアトレード【北の国から・制作スタッフ進行日誌】

この記事の投稿者: 編集

2025年8月20日

▲ Fair Trade Village の店内。

フェアトレードを皆さんはご存じでしょうか?

私はルーラルレポートを執筆頂いている吉田庸子さんから教えてもらい存在を知りました。

フェアトレードとは直訳すると「公平な貿易」です。

発展途上国の原料や製品を適正な価格で継続的に購入することにより、立場の弱い発展途上国の生産者や労働者の生活改善と自立を目指す「貿易の仕組み」をいいます。

フェアトレードの商品はコーヒーやチョコレート、衣類など多岐にわたります。

身近な場所だとイオンでフェアトレードのチョコレートを購入することができますのでイオンで買い物される方は探してみてください。

先日カンボジアへ旅行に行ったのですが、ふと「カンボジアにはフェアトレードのお店があるのでは?」と思いスマホで検索してみると「Fair Trade Village」というお店を見つけました。

場所はアンコールワット付近なので比較的行きやすいです。トゥクトゥクで向かうのをおススメします。

店内はとてもお洒落でお土産の種類が豊富です。実際に作っている様子を見学できます。

一つ一つの商品のクオリティが高く何を買おうか迷った末、木の入れ物とリップを購入しました。

生産者の方に少しでも貢献できるようフェアトレードの商品をより多くの方に知って頂きたいです。(本部 菊地美穂)

田舎暮らし四方山話よもやまばなし~その1~【情報館設立35年。その体験をもとに田舎暮らしへのアドバイス】

この記事の投稿者: 総務

2025年8月17日

▲水田の向こうに南アルプスが・・・。

◆「心の原風景」に出会う旅

「あ!ここなんです。私が求めていた風景は・・・」

夏の青々とした田んぼが広がり、遠くに南アルプスの甲斐駒ヶ岳と鳳凰三山を望む場所に立って、初めて高瀬さんは自分の希望の物件に出会ったと感じた。その日何か所も回ってたどりついたのがその場所だったのである。

これまで見た、林の間からの南アルプスの山並みも、甲斐駒が眼前に迫る壮大な風景も高瀬さんのフィーリングに合わなかったのだ。

高瀬さんは田んぼが広がり、遠景に南アルプスを望む風景に出会って初めて心を揺り動かされ、やっと答えを見つけたのだった。

茨城県土浦に育った高瀬さんにとって、「青々と広がる筑波山」は懐かしい少年時代の原風景だった。

人それぞれに原風景がある。それは子どもの頃出かけた田舎であったり、体験したほんのひとこまであったりする。

どんな土地がいいか、こればかりは他人が決めるわけにいかない。高瀬さんのように、自分でも何がぴったり合うのか、すぐには分からないこともあるだろう。

田舎探しは、自分の「心の原風景」に出会う旅といえるのかもしれない。

◆社縁社会の崩壊がもたらしたもの

田舎暮らしという言葉がポピュラーになった昨今であるが、果たして「田舎」とは何であろうか。

「田舎」は、「都会から離れた土地。在郷。ひな。地方」(『広辞苑』岩波書店)を意味しているが、みやこがなかった縄文や弥生時代には田舎は存在しなかった。

「田舎」は、都会が形成されてはじめて誕生した概念なのである。

田舎暮らしにも二種類あって、「自分の意思で田舎に移り住む」場合と、「自分の意思に反して移り住む」場合がある。

これまで日本の歴史を紐解いてみると、京に都が誕生して以来今日まで、「田舎から都会へ」という大きな流れの中にあった。

そして、農村は常にダサくて遅れており、「田舎暮らし」は、その多くが自分の意思に反しての「島流し」や「都落ち」であり、明治以降の企業社会にあっては「左遷」の代名詞であった。

地方転勤となったサラリーマンは「いやぁ、しばらくは田舎暮らしですわ」といい、「田舎暮らし」にはどこか暗いイメージを伴っていた。

それが、近年大きく変化した。1990年代初頭のバブル経済崩壊が都会の社縁社会を変えた。企業は終身雇用をかなぐり捨てて早期退職を迫り、自分のことは自分で考えてくれという。

自分の生き方を自分で作らざるを得なくなった。近年、田舎暮らしを求める都会人が増えているのも、社縁社会の崩壊と密接に結びついているのである。(本部 佐藤彰啓)

福島◆南会津町/ヒルナンデス!【地域駐在スタッフ・福島「六十の手習い」だべ】 

この記事の投稿者: 福島・会津エリア案内人 / 馬場 和弘

2025年8月14日

▲「ヒル」のイメージ図。

ヒルナンデスと言っても、某テレビ局のお昼時間帯の情報番組ではありませんよ。そう、血を吸う「ヒル」です!

南会津でも湿っぽい所には存在しており、我々を悩ませています。

役場職員さんとの雑談のなかで、ヒルは猿・鹿・猪などに吸い付き各地を転々としているとお聞きしたことがあります。

本当かどうか定かではありませんが、南会津町のヒルは栃木県から獣と一緒にやってくるそうです。

さて、その謎の生物ヒルですが、研究されている方の結論では、どうやら呼気(二酸化炭素)と熱に反応しているとのことです。

皮膚についたからといってすぐ吸血するわけではなく、吸血できる場所を探し回り太い血管の近くで開始するそうです。

よく解らないのは、二人で農作業していても私は吸われないのですが、もう一人は何故かいつも吸われ流血しています(笑)。完全防備なのにな・・・。

▲ヒルスプレーなどが有効とのこと。

対策ですが、ヒルスプレー、ハッカ、塩水などがあるようですが、あとは服装ですかね?

でも半袖・半ズボンで作業している私にヒルさんは見向きもされません。と言うことは私の血は美味しくないのか!?ちなみに私の血液型はO型です。

本業ですが、南会津地区が大人気で物件が足りない!!頑張って探さなきゃ!!(福島エリア現地案内人 馬場和弘)

岩手◆盛岡/たまには列車も良いなぁ!【みちのく岩手・新遠野物語】

この記事の投稿者: みちのく岩手事務所/ 佐々木 泰文・佐々木 敬文 

2025年8月11日

▲電車に乗って盛岡駅へ。

先日、五年毎の宅地建物取引士の更新研修に盛岡の街に行ってきました。

自分の事務所のあるJR岩手上郷駅から釜石線に乗って花巻経由で盛岡駅に到着です。

以前は自家用車での往来がほとんどでしたが、昨今のローカル線廃止の情報が飛び交ってからは、出来るだけ鉄道を利用しようと心がけています。

JR盛岡駅に降り立つと、東北新幹線の北の玄関口として、大きく変貌しているのに驚きです。

自分は岩手県遠野市の片田舎で育ちましたが、初めて実家を出で生活したのは盛岡市で、田舎者の自分は、それでも都会に来たものだと感心して、浮かれていたことを思いだします。

もう五十年も前の事です。あっという間に半世紀が経っていますから変わらないわけがありません。

▲昔と変わらない開運橋。

大きな駅の東口から大通りに向かって行くと北上川に架かるアーチ形の開運橋が見えてきてホッとしました。この橋だけは昔と変わらない形で懐かしさがこみ上げてきます。

まだ学生で自家用車も持てない自分は、チャリで、車道を闊歩していたものですが、今はとてもとても走れませんね。

盛岡南部藩の不来こずかた城址に向かい、久々に散策をしながら研修会場のホテルに着きまして、終日の長い講習を受けて無事更新となりました。

何時もは車で通り過ぎて気づかない事も、電車や徒歩で行動すると気づいたり、思い出したりするものですね。(みちのく岩手事務所 佐々木泰文)

山梨◆八ヶ岳/猛暑の候、8月の八ヶ岳事務所【八ヶ岳南麓・たかねの里だより】 

この記事の投稿者: 八ヶ岳事務所スタッフ

2025年8月8日

▲八ヶ岳の最高峰の赤岳。荒々しい岩の尾根が魅力。

夏を迎え、気温が上がる度に思うのが、涼しさというのは幸福度にもつながるのではということです。

暑いというだけで、体はだるくなり、頭がぼんやりとし、やる気まで低下してきます。職場や車での冷房の有り難さ、冷たい風で頭をシャッキっとさせると、あら不思議、やる気まで復活してきます。

近年、エアコンは体調管理に必要というのが一般常識となりましたが、心の健康にも必要な気がします。

そんな中、エアコン無しでもいられる環境というのは、とても貴重なものに思えます。

年々暑さが増しているように感じるものの、北杜市の標高が1000mを超えるエリアでは、未だにエアコンをつけずにいる家が多い状況です。標高が低いエリアでは、昼間はエアコンが活躍しますが、夜は気温がグッと下がり、不要となります。

そんな環境におりますと、自然が持つ涼しさで、体が喜んでいるように感じます。

自然が持つ涼しさを味わえる、究極の環境は夏の高山ではないでしょうか。標高が100m上がるごとに気温が0,6度下がるといわれています。

北杜市の一番身近な山は八ヶ岳です。八ヶ岳は山梨、長野にまたがる山々の総称なのですが、八ヶ岳の最高峰である赤岳の標高は2899m。東京駅の標高を調べると約3m。その標高差からなる気温の差は、なんと約17度。東京駅が35度だとすると赤岳の山頂の気温は18度ということになります。

▲山の天候は変わりやすく、表情が豊か。

八ヶ岳には、いくつもの登山口があり、沢山の山々の峰をつなぐように山道が整備されています。どのルートを繋げるかで、日帰りから、連泊まで様々な楽しみ方が出来ます。

山の様子も様々で、コケの森の中を歩く癒しの雰囲気から、鋭くゴツゴツと岩峰が続くスリル満点な場所まで、様々な表情を見せます。初めて登山をされる方から、慣れた方まで多くの方が楽しめる懐の深い山といえるでしょう。

登山は運動量が多く、行動中は大量に汗をかくのですが、一旦、休憩をするとそこは、標高の高い山の上、汗は直ぐに乾き、上着を羽織らないと冷えてしまうこともあります。

山の上は天候も頻繁に変わります。晴れていたかと思えば、一瞬で霧が広がり、少し先も見えなくなってしまうことも。夏場は雨も多く、低体温症にも注意が必要で、雨合羽が必需品となります。

下界では暑さで、だれてしまうこの時期も、一旦、高山に入れば、目まぐるしく変わる気候、時には寒さで震える環境で、体も目覚めることでしょう。

自然の持つ大きなうねりに翻弄されつつも、懐の深さも感じる、癒しとは違った、涼しさもあるのだと。そんな体験をしに、八ヶ岳に登ってみてはいかがでしょうか。(八ヶ岳事務所 大久保武文)

東京◆本部/ふるさと情報館と深大寺の縁【本部スタッフ・ふるさと見聞録】

この記事の投稿者: ふるさと情報館・本部スタッフ

2025年8月5日

▲深大寺の御開帳に行って参る。(写真はイメージです)

ふるさと情報館は日本各地に地域店、提携店、案内人を擁し地方とのご縁を繋げ事業を展開してます。

それでは〝東京は〟と言えばどうでしょう。

当社は毎年新年、社員一同で調布市の深大寺で商売繁盛祈願の初詣、新年会を行います。

その地道でひたむきな願いを聞き入れてくれ続け、35年間に亘る事業の安泰を支えてきて頂いています。

その深大寺で本年5月、50年に一度の開祖、慈恵大師様、後の「元三大師」象の御開帳に行って参りました。

20分ほどの行列を並び、新年には我々がお焚き上げ法要を頂く本堂へ。

いつもは煌びやかな法要殿ですが、このときばかりはそのようなものは一切取り除かれ、元三大師の座像のみがどっしり置かれていました。

座像でありながら高さ2m以上ある、日本最大の彫像の迫力に圧巻です。

かっと見開かれた今に動くのではないかと思われる目玉に言葉を失い、たじろぎました。

この眼力を頂ければ世の中のあらゆる争いが無くなるではないかと実感しました。(写真撮影は禁止のため皆さまにお伝えできないのが残念です)

拝観後、いつもは本殿の後ろから我々を見守っていて下さっていると思うと、より一層に事業に励む気持ちに。

あらこちらで「御開帳」と言われる神社仏閣は聞きますが、機会が合わずに見らないことが多い中、とても貴重な体験を頂きました。

ふるさと情報館と深大寺の縁を感じます。これからも深大寺様、どうぞ宜しくお願い致します。(本部 金澤 和宏)

群馬◆桐生市/わたらせ渓谷鐵道のこれから【桐生くろほね・花咲爺日誌】

この記事の投稿者: 群馬・黒保根案内人/小林 峯司

2025年8月2日

▲わたらせ渓谷鐵道の継続が決まったものの、様々な課題を残す。

群馬県桐生市と日光市足尾町を結ぶ第三セクターわたらせ渓谷鐵道が開業から35年の春を迎え、赤字ローカル線の全国的な見直しにより「鉄道の継続かバス等への転換か」の選択に揺れ動いていましたが、本年2月4日のわたらせ渓谷鐵道沿線地域交通リ・デザイン推進協議会(法定協議会)において「今後も鉄道を継続し存続させること」に決定されました。

私は37年前に地元の黒保根村から40名程の新組織に出向し、第三セクターの新会社設立から開業まで、昼夜業務に奔走した一人であり、「鉄道の継続」を地元市民協議会から報告を受け安堵した一方、沿線には「今後も行政と市民が一体となった地域の対策等」大きな課題も痛感しております。

幸いにも沿線では、地元企業による新たな観光施設の建設や、地域住民による「桜・花桃・アジサイの植栽による観光ルートの整備」が進められています。

私も情報館の案内人になり永くなりましたが、「自然を愛し田舎暮らしを求める人」の一助になればと今日も愛車「軽トラ」で山々を走っています。(群馬黒保根案内人 小林 峯司)