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宮城◆白石蔵王/「美観」は「知性」です ~ ガーデンアイランド国家構想 ~【遠刈田温泉・ペンション奮闘記】

この記事の投稿者: 白石蔵王駐在/渡辺 和夫

2017年10月29日

かつて小渕首相のブレーンをつとめ、いまは静岡県知事の川勝平太さんが主唱されていた「ガーデンアイランド国家構想」、これからの日本は庭園国家という大テーマで行こうとの提起に賛成です。

南仏や英国の田園の、まさに絵のような美しさは私も何度か堪能していますが、「四季の際立つ日本も全土をさらに美しい田園に」という国民的努力を展開して「経済力や武力ではない世界中があこがれる、本当に美しい国土づくり」を国是にしようというものです。

時代に取り残された情景も癒しになるとは思いますが、都会から移った者の目に入る日本の田舎には、まだ貧しかったころの日本の残滓が少なくありません。ですから、このあたり「蔵王の風景」を、たとえば「英国南西部、湖水地方」のそれに近づけたいというのが、ここで宿泊業を営む私の願望です。

私の求めたい風景は手つかずの自然ではなく、自然を巧みに人の感性に合わせて育てた心地よい状態、いわば「ガーデニング」という、無精をゆるさない姿勢です。ビロードを貼ったような斜面、林を縫う渓流の川面、電柱も看板も自販機も目立たない沿道の「グリーンベルト」、春から秋まで絶やさない「樹の花」、「ペンション」という器をその景観に埋めてお客さまを迎えたいのです。

「温泉」という強みを、知性まで感じてもらえる「美観」でくるみ、インバウンドにも嘆声をあげていただける田園風景のエリアをつくりあげたいと思うのです。 (白石蔵王駐在 渡辺 和夫)

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☆渡辺さんが経営する宮城蔵王・遠刈田温泉郷ペンションそらまめのホームページ
http://www.soramame-p.com/
「ペンションそらまめ」で検索できます。

ペンションそらまめ

三重◆松阪市/地元発・教えてあげたい「深野の棚田まつり」(10/28)【地域担当・出張旅ガラス】

この記事の投稿者: ふるさと情報館・本部スタッフ

2017年10月26日

松阪市の新規物件(『月刊ふるさとネットワーク』10月号P68ページ)の取材の際、売主さんから教えていただいた棚田をご紹介します。

棚田の風景は物件の窓から直接見える距離にあります。「深野のだんだん田」の場所は、松阪市飯南町深野。松阪牛の飼育農家が多く、深野和紙と呼ばれる和紙の生産でも知られています。三重県内の棚田としては、丸山の千枚田や、坂本の棚田とともに、「日本の棚田百選」に選ばれています。

標高820mの高原に位置し、室町時代に北畠氏の拠点だった当地は「のろし場」があり、見張りの侍たちの食糧確保に棚田が開墾されたと伝えられています。耕地の少ない急傾斜地を有効に利用するため、自然石を丁寧かつ頑丈に積み上げた棚田の造形は、石の芸術と呼ばれています。

そんな棚田をライトアップする「第6回深野棚田まつり」が開催されます。今年は10月28日(土)、会場へはシャトルバスの運行もあります。暗闇の石垣に沿って並べられた2 千本近くの竹行燈と千五百本のペットボトル行燈に火がともされると、幻想的な風景が広がるそうです。一味違った棚田風景を楽しまれてはいかがでしょうか。
(本部・営業担当 山中 準一)

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三重県観光連盟公式サイト・観光三重
第6回深野棚田まつり
https://www.kankomie.or.jp/event/detail_37524.html

山梨◆小淵沢/八ヶ岳の神社できれいになる?【巡り巡って北杜市探訪記】

この記事の投稿者: 八ヶ岳事務所スタッフ

2017年10月23日


~能楽殿、舞台が池の上に浮かぶ~

小淵沢IC から東へ約2㎞、車で5分ほどに位置する身曾岐(みそぎ)神社。2011年にフォークデュオ・ゆずの北川悠仁さんと、フリーアナウンサーの高島彩さんが挙式したことで全国的に知られるようになったようです。

境内敷地に入ると外界とは違った厳かな雰囲気に包まれます。その中でも、特に印象的なのが能楽殿。使用材木はすべて木曽ヒノキという贅沢さ。舞台が池の上に浮かび、その姿を水面に映す幽玄な様は、「日本一の能舞台」との声にも納得できます。

毎年8月3日には薪能を開催しています。もちろん結婚式も行われ、有名アーティストによるコンサートが開催されることも。2017年の夏にはau の三太郎シリーズのCM にも使われました。

神社の由来である身(み)曾(そ)岐(ぎ)とは、「きれい」になることを指すとのこと。神社に参拝し、心も体もきれいになり、日々を充実して過ごせるようになりたいですね。
(八ヶ岳事務所 大久保 武文)

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名 称: 身曾岐神社
所在地:山梨県北杜市小淵沢町上笹尾3401

 

↓↓↓小淵沢の物件一覧はこちら↓↓↓

宮城◆登米市/「はす祭り」の船に乗りまして【みちのく岩手・新遠野物語】

この記事の投稿者: みちのく岩手事務所/ 佐々木 泰文・佐々木 敬文 

2017年10月20日


宮城県登米市(とめし)にある「伊豆沼」・「内沼」は、ラムサール条約(特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約)に登録指定されている渡り鳥の飛来地として知られています。この近くには当社の紹介で移住された方々も多い地域です。

この八月に訪れた時がちょうど蓮の花の最盛期で、湖面一帯がピンクの蓮の花で彩られていました。周辺を歩いてみるまで知らなかったのですが、あちこちに「蓮祭り乗船場の幟」があるので寄ってみると、沼一面の蓮の中を周遊する小さな遊覧船が運航されていました。


30分程度の周遊時間との事でしたので、家内と一緒に乗船しました。一面ピンクの蓮畑を分け入った航路が確保され、蕾、満開、散ってしまったものと、様々な花畑を静かに船頭さんの穏やかな解説を聞きながら巡ります。

小さな船ですから、手を出せば花にも触れることが出来ます。様々な方向に航路を変えながらの一周の中で沼岸の風景が移り変わり、蓮の彩りとのコントラストは最高でした。

仙台市からも程近い処に、大自然を体験できる「伊豆沼」と近くにはボート競技とオランダの景色を彷彿させる大風車のある「長沼フートピア公園」もありますので、近くにお越しの際に、お寄りになっては如何でしょうか。
(みちのく岩手事務所 佐々木 泰文)

東京◆本部/この情報誌を見るといいと言われたので・・・【スタッフ・日々の業務より】

この記事の投稿者: 広報

2017年10月17日

旅行の宿泊先を探すとき、今では当たり前にインターネットで検索して決めることが多くなりました。今よりも学生時代の方がよく旅行をしましたが、当時はパソコンも携帯も持っていなかったので、思えば旅行会社のパンフレットや雑誌、それと友人からの口コミが頼りでした。

時を経て、ずいぶん便利になったと実感していますが、ネット上の口コミに関しては半信半疑なところもあります。参考にはなるものの、やはり匿名の情報よりは、知っている人から直に聞く方が信用できます。先日、「友人にこの情報誌を見るといいと言われたので…」というお客様が来社され、急いでおられたので紹介者のお名前までは聞けませんでした。日頃から会員の方より紹介していただくことも多いので有難く、こんな口コミは大歓迎です。

ふるさと会員の特典の中には「会員紹介プレゼント」もあり、紹介で入会された場合には、紹介者に500円分の図書カードを進呈しています。もし知人に本誌を勧めていただく際には、せっかくなので匿名でなく、ぜひ本部までお名前もお知らせください。(本部 三鴨 玉江)

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長野◆富士見町/出張栗生サロン・おばあちゃんと都会の若者交流の場【諏訪ぐん!ぐん!】

この記事の投稿者: 富士見・原村案内人/伊藤 やよい

2017年10月14日


先日、とある「交流会」のお昼ご飯に呼ばれてきました。※ちなみに「呼ばれる」というのは標準語の「集められる」ではなく「食事やお茶の招待を受ける」という意味です。

富士見町のテレワークの拠点「森のオフィス」に、同じく富士見町栗生(くりゅう)地区で活動する「栗生サロン」のみなさんが家庭料理をふるまいにきてくれたのです。「栗生サロン」は、富士見町社会福祉協議会(社協)による高齢者福祉の一環として生まれた集まりで、富士見町で最初にできた高齢者交流サロンです。

富士見町栗生はこのあたり!

ふだんは“週一回公民館に集まって、体操や脳トレをした後、持ち寄りの手料理を囲む”という活動ですが、この日は若い移住者の人たちとの交流を目的に、森のオフィスへ出張してくださったのです。

自慢の手料理は品数なんと10種類以上!おばあちゃまたちの底力に圧倒される森のオフィス利用者の皆さん。初めて出会う食材や調理法に会話も弾みます。

「信州の食べ物」というと「お蕎麦」を思い浮かべる人は多いと思いますが、一般家庭でそれほど食べる頻度は高くありません。むしろ季節の野菜を上手に加工した「おつけもの」や「煮物」が中心です。今日のメニューは、夏らしく「瓜系」と「寒天系」が中心。「糸瓜(別名ソーメンカボチャ)の酢の物」、「縞瓜(漬物によく使うからツケウリともいう)」、「エゴマ(地元ではアブラエという)のおはぎ」、「サラダの寒天よせ」、「ザラメ寒天ゼリー」、「フルーツ入り牛乳寒天」、「カボチャの煮物」、「はんぺんとゴーヤの天ぷら」、「ポテトサラダ」、そして「お味噌汁」。ほとんどがお家の畑で採れたものなんだそうです。

「ポテトサラダ」や「カボチャ」の煮物は「砂糖」を入れてちょっぴり甘くするのが「栗生流」なんだとか。「甘くてやさしい、お母さんの味」と皆さんどんどん顔がほころんでいきます。

移住してわずか3か月のある独身のオフィス利用者さんは、「いつもロクなの食べてないから、体が喜んでる感じがします」とのこと。赤ちゃん連れの人もいて「離乳食にぴったり」と、カボチャの煮物を赤ちゃんにも食べさせていました。

最後は庭で体操。「また会おうね!」と手を振ってお別れしました。クールな仕事場「森のオフィス」にあったかい風が吹いた、昼下がりでした。(富士見・原村案内人 伊藤 やよい)

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富士見町・森のオフィス
http://www.town.fujimi.lg.jp/shareoffice/

長野◆安曇野/特命ミッション・移住世帯に最大100万円!【ちーまめ安曇野】

この記事の投稿者: ふるさと情報館・本部スタッフ

2017年10月11日


長野県内でも有数の人気移住先である「北安曇郡松川村」。(※「下伊那郡松川町」と間違えやすい!!)2010年の厚生労働省調査で、「男性平均寿命日本一」の自治体に輝いたのは記憶に新しいところです。(全国平均80.75歳のところ、松川村では82.2歳!)

そんな健やかさが魅力の松川村でも、ついに今年の4月1日から「移住定住補助金制度」を開始しました。補助金額の内容は下記のとおりで、いずれも平成29年4月1日以降に移住した方、1世帯あたりの金額です。

●新たに土地および住宅を取得し、移住した場合 100万円(70万円)
●新たに中古住宅等を取得し、移住した場合 50万円(30万円)
※カッコ内は過去5年間に松川村で住んだ方の村内転居。

対象世帯の条件には
●新たに住宅を取得し、松川村に居住する方  (5年間以上定住する意思のあることが必要)
●2名以上で住む方
●補助金申請時の年齢が45歳以下の方
●地域の自治組合に加入する方

などがあり、別荘利用や定年退職後の方は残念ながら対象となりません。
簡単に言うと、地域に根を下ろして仕事に励みながら生活し、地域の活動にも理解を示して協力できる方、といったところです。

また、補助対象の条件は
●新築住宅・・・土地込みで取得費用1000万円以上
●中古住宅・・・土地込みで取得費用500万円以上となっています。

詳しくは総務課1万人復活特命係(電話0261 –62 –3111)へお尋ねください。
(本部・安曇野担当 大澤 憲吾)


松川村はこんなところ

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信州安曇野・松川村ホームページ
http://www.vill.matsukawa.nagano.jp/

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▼▼▼ふるさと情報館で取扱い中の「北安曇郡松川村」の物件はこちら▼▼▼

栃木◆那須/「10年間とっても楽しかったヨ~」憧れの田舎暮らしの先に【地域店・日々の業務より】

この記事の投稿者: ふるさと情報館・那須店 / 高久 重廣

2017年10月8日

先日、あこがれていた「那須での田舎暮らし」を満喫し、東京に戻るお客様がいました。10年前、300坪の土地を購入し、畑で野菜の有機栽培をするのが目標でした。奥様の理解のもと、自分だけの単身田舎暮らしを実践し、「いかに低コストで楽しく暮らすか」を追求してのスタートでした。

家造りは地元の大工さん(棟梁)に材料むき出しの山小屋風造りで、設計プランを練り、設備機器をインターネットで注文され、外壁塗装は自分で行うなど、建築費は計画予算内に収まり、思い描いた家が建ちました。

「生活はシンプルに、そうするとコストがかからない、だけど遊び心は忘れずに、年間を楽しむ」

これぞ「田舎暮らしの極意」と思います。そんな那須での生活も、ご本人は「充分楽しんだから身体が弱らないうちに東京に戻る」と前向きに決断。売却物件は情報誌『月刊ふるさとネットワーク』に掲載しましたところ、最初に見学した会員さんからすぐに購入申込があり、本人もビックリでした。やはり「畑作り」、「家造り」、「ガーデニング」と、愛情を込め丹精に造りあげたものは、次の代に心地良く引き継がれるものなのだ!と実感致しました。

そして「10年間とっても楽しかったヨ~」の言葉を言い残し、東京へ戻って行かれました。(那須店 高久 重廣)