ブログ

信州◆安曇野/アートギャラリーやガレージ希望の方に!!【物件・先行情報】

この記事の投稿者: ふるさと情報館・本部スタッフ

2014年8月19日

大澤憲吾

9月号に向けて制作が佳境に入っています。

今回は本部・星野と八ヶ岳事務所大澤で信州安曇野エリアを回りました。この地に移住した方や地元で情報発信をされる方、地元業者さんなど、このエリアを訪れるたび、文化度が高く、アートや創作家にとっては魅力的な地域と感じます。

そこで、9月号掲載予定の物件ですが、まさに「アートな方向け」の物件を先行で紹介します。

売主はしっかりとしたリフォームを施しながらも個性的な物件に仕上げるも、新しい購入者の方の感性を邪魔しないように必要最小限のデザインとしています。

松川村物件

もともと事務所用途の物件だったようで、ITビジネスやSOHOなどの拠点としてもお洒落かもしれません。

場所はちひろ美術館のすぐそば、山麓線沿いに面しています。なかなか物件の出づらい松川村の里山物件。東側に安曇野の伸びやかな眺望、西側にも水田と北アルプスの山並み。一見の価値ありです。

物件詳細・内覧については八ヶ岳事務所・大澤(おおざわ)までご連絡ください。
TEL0551-46-2116(水曜日定休)

松川村間取り図

===========================================
【物件DATA】
松川村 【終了しました】
所在地:長野県北安曇郡松川村南林
土地面積 251.94平米(76坪)
建物面積 1階120.60平米(36坪)2階113.40平米(34坪)
昭和60年新築 平成4年一部改装、平成26年リフォーム

《田園からの風》 ”「同じところに住み続ける」ということ”

この記事の投稿者: 総務

2014年8月7日

それぞれの地域に歴史あり文化あり

日本は稲作農耕文化の国で、農村では人々は祖先伝来の土地を耕し続け、同じ場所に暮らしてきたと思われがちである。しかしそれは、いつの時代からであろうか。

田舎に出かけると、一見すると同じような農村風景であっても、それぞれの地域に歴史があり文化があり、それらに触れることが多い。

近隣同士の集落でも、集落によってその成り立ちが違い、風習が異なる場合がある。

山梨県芦川村(笛吹市)は、富士五湖と甲府盆地との山あいにあり、深い渓谷沿いに茅葺民家が点在する村である。川下から川上に4つの集落があるが、冠婚葬祭の風習がそれぞれ異なる。一番川下の集落では、棺桶は丸棺で膝を折り曲げて座姿で納棺される。川上の集落はいずれも寝棺であるがその形に違いがあるという。ここには落人伝説があり、それぞれここに移り住んだ年代やどこからやって来たかによる違いからであろう。

 移動する人々

「日本人が同じところに住み続けるようになったのは、徳川幕府が安定した江戸時代になってからである。それ以前は人々はあちこちと移動していた」と、昭和の民俗学者の宮本常一はいう。彼は戦前、戦後の日本の農山漁村をくまなく訪ね歩き、『忘れられた日本人』『村里を行く』『日本文化の形成』など多くの著書を残している。

平家落人伝説は日本の山村いたるところにあるが、なにも平家だけでなく、さまざまな戦いに敗れて落ち延びた人々によってつくられた山村はたいへん多い。

そして昔は、集落の人口が増えて生産力が伴わなくなると、”分村“といって村を分けたという。村の一部の人々が新天地を求めて他に移り住むのである。ちょうどミツバチが分蜂(巣分かれ)するのと同じである。

分村してできた村は「親村」の慣習や習俗を引き継いでおり、周辺の集落とは異なる。

愛知県北設楽郡東栄町には、鬼が出て夜を徹して舞う”奥三河の花祭“として知られる伝統芸能がある。

毎年11月から3月初旬の土曜日、11の集落で順次盛大に行われる。その祭りを見た後、東栄町のある集落を訪ねたことがある。

「じつはこの集落には、花祭はないんです」と、お会いした地元の人の話。花祭ではなく、子ども歌舞伎があるのだという。その集落の名は「下田」といい、言い伝えによれば、伊豆下田から越してきた集落という。下田には子ども歌舞伎があり、それがここに伝わった。

時代は分からぬが、分村して数百キロも離れたこの地に、どのようにして辿り着いたのだろう。しかもそれは少人数ではなく、子ども歌舞伎が演じられるほどの集団として。

昔の人々の生きてゆくたくましさに敬服するばかりである。

 今も残る中世の面影

農山村に行き、地元の長老の話を聞けば、日本の中世の歴史がどこにも転がっている。

ふるさと情報館八ヶ岳事務所から近い長坂下条は70戸ほどの集落である。集落のはずれの林の中に、地元で「長閑屋敷」と呼ばれる場所がある。武田信玄の24武将のひとり長坂長閑の屋敷跡という。この集落の世帯の苗字は、三井、相吉、植松の姓が多い。「昔、三井城、相吉城があった」という。それは長閑よりももっと以前の、この集落ができたころにやってきた人の屋敷跡であろう。

長野県下條村は、天竜川沿いの山間地にあるが、その村名は室町時代のはじめ甲斐の国の下條郷(現・韮崎市下條)からこの地に入った下條氏一族に由来するといわれる。長坂下条もこの下條郷からやってきたのかも知れない。

都市から田舎へ新たな動き

江戸時代徳川幕府は、こうして生まれた村々に年貢米を共同責任で供出させ財政を確立した。そのために農民の定着を図ったのである。

江戸時代末期の日本の人口は3千万人、ほとんどが農村にいた。明治維新の近代以降、人々は徐々に都市へと移り住み、戦後高度経済成長に伴い、大都市への一極集中が急速に進み都市に人口の7割が集中するようになった。

経済成長のみを追う都市の極度の肥大化はさまざまな矛盾をもたらし、都市が快適な生活空間でなくなり、自然豊かな農山村が見直されるようになった。

そして近年、都市から田舎へと新たな動きが始まっている。

(ふるさと情報館 佐藤 彰啓)

神奈川県◆中井町/専門家を招いて開催・中井町古民家見学会について

この記事の投稿者: ふるさと情報館・本部スタッフ

2014年8月4日

古民家見学会

去る7月19日(土)に神奈川県中井町に残る茅葺き古民家の見学会を行い7組10名様がご参加下さいました。

古民家再生の専門家であるO設計室・大沢先生のご説明のもと、茅葺きの維持管理、修復・リフォームプランなどのお話を囲炉裏を囲んで聞きました。

残念ながら新しいオーナー様は見つかりませんでしたが、引き続き見学会という形でご案内日を設けたいと思いますので、物件を検討されている方はご連絡ください。日時が決まり次第お知らせいたします。(8月20日以降を予定。※大変申し訳ありませんが月内の個別案内については基本的にお受けできませんのでご了承ください)

<物件のポイント>
1)茅葺きは現在のオーナー様が3回にわたって全体の修復を施しているので当面は手直しは必要なさそうである。(10年スパンで差し茅が必要になる場合がある)

2)当該地はバス便が無いので車は必須。役場から車で約15分ほど山に入った集落にあるので、このエリアの土地勘無く定住を検討されている方は冷静に検討する必要がある。

3)市街化調整区域内にあるため、旅館等の用途変更を伴う改装等は難しい。再建築に関しては同一規模、同一用途が原則である。

4)台所とお風呂が改装ポイント。お風呂は思い切って日帰り温泉等を利用するなど割り切り、リフォーム費用を抑えることも考えられる。

5)陶芸窯があるので、陶芸を趣味に茅葺きを愛でる方に

(TEL03-3351-5601 ふるさと情報館・本部/中井町物件担当 星野)

kaisou

=========================================
今回古民家の説明していただいた大沢さんのホームページ
O設計室(オーセッケイシツ・鎌倉)
http://www.o-sekkei.com/
osawa2