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《田園からの風》 ”自然を求め続けた画家”

この記事の投稿者: 総務

2014年10月10日

八ヶ岳南麓の日野春小学校は、少子化の影響で町内の4つの小学校がひとつに統合され、廃校となった。今年春、その遊休校舎が社会福祉と地域の交流施設、山岳画家の美術館として再出発した。

 

五感を研ぎ澄ますために山に登る

 

自然を愛し、自然を求め続けた画家。犬塚勉は、全く無名の画家だった。

1949年生まれ。東京の多摩で育ち、東京学芸大学で美術を学び、美術教師として子どもたちを教えながら、山や丘の風景を描き続けた。五感を研ぎ澄ますために本格的な登山に挑戦し、身体で浴びる自然の息吹そのものを緻密な筆遣いで描いた。森・山・切り株・ブナ・渓谷などをモチーフとした写実的な風景画。

「『感動ある絵を描くこと』、この他には何も望むものはない」と、常々奥さんの陽子さんに語っていた。

1988年9月23日早朝、陽子さんに「いってくるよ」と、寝室のドアを細く開け、すまなさそうな笑顔を残して谷川岳に出かけた。谷川連峰赤谷川から平標山へ向かう途中、悪天候のため遭難。尾根に出たところで力尽きて永眠。帰らぬ人となった。享年38歳。

2008年没後20年に、多くの友人たちによって長野県東御市の小さな美術館で開らかれた展覧会は、静かな話題を呼び、来会者が多くの言葉を残した。

「緻密な絵の中に、風、せせらぎ、香り…、目に見えないものが描かれているようです」「大地の暖かさを感じ、すべてが生きているのだと感じます」。

翌年NHKの日曜美術館「私は自然になりたい」で紹介され、犬塚勉の絵画が広く世に知られるようになった。その後、NHKプロモーションの企画で、東京、京都、広島と各地で巡回個展が開催され、多くの人々を魅了した。

 

緻密に描かれた草木

土の匂い、生命の感動が伝わる

 

犬塚勉の作品のひとつに、「梅雨の晴れ間」がある(本誌目次写真)。どこにもある自然の風景であるが、入念に表した画面からは雨上がりの土の匂いまで伝わってくる。草木の葉、花弁や葉脈まで一つひとつが緻密に描かれている。湿気を含んだ草が光を浴びながら柔らかな色味を放っている。木陰の小さなドクダミやシロつめ草も雨に洗われていきいきしている。作品を見ていると、自分がその風景の中にいるかのような不思議な感覚になる。

ひとつ一つの植物を克明に描く超リアリズムの技法は、写真では表現できない質感を生み出し生命の感動が伝わってくる。

作品「縦走路」(本誌目次写真)は、南アルプス北岳の尾根から尾根への縦走路で大小の小石が克明に描かれている。ひとつとして同じ形の小石はなく、密度が高く山の雰囲気をよく伝えている。

 

南アルプスの麓で暮らす夢

 

犬塚勉の美術展が日野春小学校で実現したきっかけは、たまたま同じ学校で教えていた元同僚が定年退職後、八ヶ岳に移り住み、日野春小活用の取り組みをしていたからである。

描かれたものはすべて、陽子さんにより大切に保管されてきた。200点余りの作品、60冊にのぼるスケッチブックのほか、克明に記録された制作ノートなどが残る。陽子さんは、その保管場所と展示場所を探していたのである。

「犬塚は南アルプスの麓に住み制作することが夢でした。北岳からの帰途、ふと立ち寄った日野春の景観と里の静けさに深く感動し、『日野春はいいところだよ』と何度となく繰り返しておりました」と語る。

制作ノートには、その思いが記されている。

・僕と陽子と愛息嶺と悠との4人暮らし。南アルプスを仰ぎ見つつ彼方に八ヶ岳を臨み、朝な夕なにその雄姿を愛でる。(1985年8月)

・その土地に溶け込んだ生活の中から、その土地の心を描く。土を耕し作物を育てる人、都会でいつか自然に還ろうと思っているすべての人に喜ばれる、そんな絵を描きたい。(1987年8月)

・日野春の丘に居を構え、ほんとうの風景を描く生活に至るためにはどうすればよいのか。(1986年2月)

・絵を見るためには街へ出なければならない。そこがおかしい。絵が見たければ田舎へ来いというあり方。地方の廃校、校舎を使っての個展。(1987年7月)

陽子さんは、「ほんとうに不思議な縁です。二人が求めてやまなかった夢がこんな形で実現できるなんて……」と語る。

(ふるさと情報館 佐藤 彰啓)